よもやま話:老舗プロバイダはどこへ行くそれもあって、インターネットプロバイダ大手の@niftyやBIGLOBEは相次ぎ身売りを表明しています。記憶を頼りにプロバイダの変遷をたどりながら、プロバイダの向かう先を探っていきます。 ● パソコン通信ホストからプロバイダへ 1980年代から1990年代後半までは、インターネットはまだ一般的ではなく、プロバイダという事業すら存在していませんでした。この当時、一般向けのネットワークサービスといえばパソコン通信でした。パソコン通信は、掲示板、ショッピング、チャットなどを、ひとつのコンピューターシステムで提供したサービスで、現在のインターネットのミニチュア版でした。 商用パソコン通信サービスで最大手だったのがNIFTY-Serveで、現在のNiftyの前身でにあたります。それに続くのが、NECのPC-VANでした。ほかに、アスキー運営のASCII NETや、日経Mix、ASAHI NETなどがありました。業務用メールのやりとりに、これらパソコン通信サービスを利用する企業もありました。 1990年代後半になると、ダイアルアップによる個人向けインターネット接続サービスが普及し始め、「プロバイダ」という名称が使われるようになりました。当時は、パソコン通信とインターネット接続サービスは独立した事業でした。NIFTY-Serveでも、親会社である富士通は、パソコン通信はNIFTY-Serve、インターネット接続は当時プロバイダとして運営していたInfowebの二本柱で事業展開をしていました。これは、NECが提供していたパソコン通信サービスPC-VANと、プロバイダのBIGLOBEでも同じでした。 ところが、インターネットの普及がめざましく、パソコン通信が衰退の一途をたどり始めました。パソコン通信とインターネットは並行で発展していくと考えていた予測が外れ、事業統合が進められました。NIFTY-ServeとInfowebは合併して@niftyになり、PC-VANはサービスを終了し、Biglobeに一本化されました。 こうして、パソコン通信のホストはインターネット接続プロバイダへバトンタッチしていきました。 ● ダイアルアップからADSLで急成長 2000年に入ると、常時インターネットに接続できるADSLが脚光を浴びました。ダイアルアップよりも高速でインターネットが利用できるとあって、プロバイダ各社は熾烈な顧客獲得競争に明け暮れました。ブロードバンドという言葉が登場したのもこの頃からでした。 中でも印象に強かったのがYahoo! BBでした。他社よりも割安料金のADSLサービスを売り物に、顧客の囲い込みを狙った戦略を推し進めました。ところが、回線品質の向上が追いつかず、満足な通信速度が出ないなど苦情が絶えませんでした。さらに追い打ちをかけたのが、契約社員による顧客情報の大領流出でした。賠償として情報が流出した世帯には500円分の商品券を贈り、契約者からは個人情報の価値は500円かと不満が爆発したのは今でも記憶に残る出来事です。 ● 光ファイバ回線がピーク 2004年、ADSLの普及からやや遅れて登場したのがFTTHなどの光ファイバ回線でした。ADSLよりも高速で、動画を見ながら他のサービスも利用できると、積極的な売り込みが始まりました。新規契約だけでなく、ADSLの乗り換えを推し進め、電話勧誘もしつこいほどかかってきたほどです。家電量販店にプロバイダ各社が申込み窓口を開設したのもこの時期からでした。 2008年あたりになってくると光ブロードバンド回線もしだいに各世帯に行き渡ってきました。そこで、プロバイダ各社は顧客の奪い取り合戦に明け暮れるようになってきました。他者からの乗り換えで一定期間の接続料が無料になるといったサービスを各社が競って打ち出しはじめました。有線接続によるプロバイダ事業はこの時代あたりがピークなのでしょう。 ● 高速モバイルインターネット普及で岐路に立つ ノートパソコンを外出先でインターネットに接続したい要求が高まってきたのが2006年ごろでした。これに応える製品として、カードスロットに挿入して使用するモバイルルータでした。先駆者はイーモバイルでした。USB接続のできるスティック型だけでなく、Wi-Fi接続を実現したモバイルWi-Fiルータを販売し、あらたなインターネット接続の形態を作り上げました。 2008年ごろからはスマートフォンが登場し、モバイルインターネット接続の需要が急速に高まりました。さらに、2010年にはタブレット端末が発表され、高速モバイル回線の整備が急ピッチで進められるようになりました。 プロバイダもモバイルインターネットに力を入れるようになり、イーモバイルの製品と組み合わせたサービスを展開し始めました。これは単なる新サービスだけではなく、有線接続サービスだけでは頭打ちであることを見据えていたのでしょう。 ● 採算がとれるうちに身売りされるプロバイダ 2008年に起きたリーマンショック後の世界同時株安の影響により、日本の電機メーカーは業績不振に陥りました。さらに追い打ちをかけたのが、日本のお家芸ともいえるエレクトロニクス製品が円高と近隣諸国の台頭で売れ行きが伸びず、苦戦を強いられました。 業績赤字を減らそうと各社は事業の選択と集中を進め、採算のとれる部門でも黒字のうちに売却を検討し始めました。そして、プロバイダも身売りの一つとなってしまいました。NECのBIGLOBE、富士通の@nifty、ソニーのSo-netは運営母体が移管されようとしています。 これまで、プロバイダが身売りされると噂の域でささやかれたことはありましたが、いよいよ現実のものとなりました。利用者側にとっては大きな影響はないものの、一つの大きな転機となる出来事です。 ● サービスと回線事業が分業化する時代へ プロバイダにとってもう一つ検討されていることがあります。回線事業とコンテンツ事業の分割です。 プロバイダは、インターネット接続のための回線契約と、自社が提供するさまざまな情報コンテンツの提供で事業を進めてきました。今後は、これらを切り離しで独自の事業として運営していくことが検討されています。インフラとサービスの両立は負担も大きく、それぞれの持ち味を引き出した事業が求められているものと考えられます。もし事業の分割と分社化が進めば、プロバイダは新たな変革期を迎えるでしょう。 一見するとプロバイダは地味な商売です。しかし、いざ振り返ってみると時代とともに事業形態を変えつつも、堅実にサービスを提供してきているのに感服する思いです。インターネットは変化に富んだ世界だけに、その一端を担うプロバイダも時代に沿った形で今後も事業を続けていくでしょう。老舗プロバイダは事業規模も大きく、今後の偉業展開次第では重要な岐路に直面するかもしれません。プロバイダは身近な存在だけに、影ながら見守っていきたいところです。
2014年8月6日発行 第361号
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